第四話
構成・文 菅 正太郎
後に「パ・ドロスの戦役」と呼ばれる戦争に赴く当日―――俺は、センシミリアの海岸に立っていた。王宮からも近く、母校である王立軍教育航空アカデミーの敷地内にあるそこへ、俺は一度だけ、ディセルマインを連れていったことがある。
「いい海だ」
さしたる感情もなく呟いた奴の言葉に思わず吹き出してしまったことを思い出す。
ディセルにとって自然は愛でるものでも、心を写すものでも、時には人生に彩りを添えてくれるものでもない。人の生活を支えるための"環境"以上の意味を持たない。だからディセルが「いい海だ」といえば、それは「人が暮らすに適した土地だな」といった感想に等しい。
気がつけば俺は、出陣の見送りに来ていた妹・ユリカノに、そんな思い出話を語っていた。これから自分が為すべきことの意味を確かめたかったのかもしれない。
俺は、ユリカノに約束した。
必ずやこの戦争を話し合いの内におさめ、ディセルマインにこの海の素晴らしさをもう一度見せてやると。
「どうかご武運を」と妹は力強く笑った。
× × ×
この戦争を話し合いの内に収める……。戯言であろうか。
100万に近い軍勢を率いた同盟国の王子とはいえ、こちらは初陣の身、どれだけ声高に叫ぼうとも俺の力でこの戦争は終わらない。ディセルマインとジュディアーノという戦争当事国の王子、ふたりを動かす必要がある。
とはいえ―――、ディセルとジュディアーノの確執は戦争の直接的な原因ではない。子供の喧嘩がこれだけの大戦争を引き起こす「大義」とはなり得ない。この戦争は、両国民の間に起こった小競り合いに始まり、その根底には、ポリヘドロン内における両国間の長きに渡る力関係が存在する。
子供の喧嘩が戦争の大義となり得ないのなら、その逆もしかりだ。
子供同士が仮に和解したところでこの戦争は終わらない。
戦争を止めるには、大義を覆してなお、争いを回避するメリットを、両陣営に提示する必要がある。
その実、俺は大義を覆すだけの理由もメリットも持ち合わせてはいなかった。それでも俺には僅かな希望があった。
何度か極秘のルートを通じて、ジュディアーノと連絡を取り、奴が戦争を回避したがっていることをつかんでいたのだ。
レ・ガリテやディセルマインに対するジュディアーノの敵意は強い。たがその敵意を冷静にさせるだけの圧倒的戦力がレ・ガリテにはあった。その上、パ・ドロスはア・ラマーンやン・ヤガなど大国からの支援を取り付けることに失敗していた。
幾度かのやり取りの中で、ジュディアーノの戦意が、失意と焦燥に変わっていくのが俺には分かった。
カードの切り方さえ間違えなければ、ジュディアーノを戦争回避に動かすことはできる。俺は確信を持っていた。
問題はディセルマインだった。
× × ×
デ・メトリオを出撃して数日後、俺は連合軍の要衝ともいうべき宙域へと赴いた。
レ・ガリテはもちろん、テ・バリテ、ラ・クインテバリテといった同盟国の要人が集った会場は、早くも饗宴の場と化し、そこでは声高に勝利が謳われ、敗戦後のパ・ドロスの在り方がまるで宝物を掘り当てたあとの分け前のように話し合われていた。
この場にも王子と呼ばれる者は数多くいたが、第三位までの王位継承者となるとその数は一気に限られた。多分にもれず、俺のまわりにも、ポリヘドロン中の王族貴族が取り巻き、隙あらば俺をたたえた。
こういったことにいちいち辟易としないだけの心構えは、王族として生まれ落ちた以上出来ているつもりではあるが、好むか好まぬかと問われれば、迷うことなく後者を選ぶ自信があった。
ここにいるくらいならば、アカデミーの食堂で、飲まず食わずのまま三日三晩夜通し、ディセルマインやジュディアーノらとポリへドンの今後1万年先の在り方を論じあう方がまだましだ。
ディセルはここには来ないかもしれない。
そう思い始めた矢先だった。ひときわ大きな一団を引き連れ、ディセルマインが会場に姿を現した。
俺とディセルの距離はそれほど離れてはいなかったが、互いの取り巻きが小惑星帯のように横たわり、歩み寄ることは困難に思われた。
だが、ディセルは即座に俺を見つけた。見つけるなり、迷うことなく、一気に俺の傍にまで進み来て、俺を力強く抱擁した。
「待ちわびたぞ、ヴィラジュリオ」
真っ直ぐと俺を見て言った奴の顔には、明らかな喜びが見て取れた。偽りとは思えない。偽る理由もない。ディセルは俺がこの戦場に来たことを歓迎していた。
「来い。見せたいものがある」
× × ×
ディセルが見せたいと言ったもの―――それはポリヘドロン全域をホログラフで大写しにした、巨大な作戦指揮所だった。見た瞬間に直感した。おそらくここがこの戦争の中枢だ。この戦争を推し進めていたのは他ならぬディセルマインだったのだ。
如何にすればパ・ドロスを攻略できるか。ディセルは、自分の考えを述べたあと、俺に意見を求めた。
全幅の信服を置く、忠実なる参謀―――それが俺に与えられた役割だった。
俺が答えあぐねているとディセルは、「無理もない」と微笑むなり、現場を見に行こうとさっそく動き始めた。側近に命じるその内容から、俺は現場を担当する三人の将軍と面会し、更なる詳しい説明を聞くことになるようだ。そして、この間にも複数の人間が、今後の作戦についてひっきりなしにディセルの意見を求めに来た。
今、この機会を逃せば、取り返しのつかないことになる。刻一刻とこの戦争は引き返せない所に来ている。二人きりになる機会すら望めないかもしれない。そう感じた俺は、思い切ってディセルに声をかけた。
「ジュディアーノと話したんだ」
ディセルの動きが止まった。
「……奴にあったのか?」
「直接会ったワケではないが……」「聞いてくれ。ジュディアーノはこの戦争を―――」
それ以上、俺に言葉を紡ぐ機会はなかった。
ディセルは、俺に背を向けたまま、部下をこの部屋に呼び寄せるように従者に伝え、次の会議があるからと俺に退室を求めた。
俺はこの時、自分が何か大きなものを喪失したことを悟った。だがそれが二度と取り戻せないほどのものであるとは、この時の俺には知る由もなかった。
―――#5に続く